犬食文化

犬食文化について

犬食文化は、中国や朝鮮半島のような古くからの農耕社会、或るいはアジアやオセアニア島嶼域の様な農村的社会が支配的な地域に認められる。一方、犬食が忌まれる地域は、牧畜社会、遊牧社会、狩猟採集社会の支配的な地域と、西アジアのように、食用動物に関する宗教上の禁忌が存在する地域がある。 犬肉料理としては、韓国料理のポシンタン等が有名だが、犬食の歴史は古く、中国大陸をはじめとする広い地域で犬を食用とする習慣があった。犬食の習慣は日本を含めた東アジア、東南アジア及びハワイ、ポリネシア、ミクロネシア、オセアニアなどの島嶼に於いて多く存在した。 欧州では牧畜が盛んであった為、中国、朝鮮などと異なり、犬との共存生活が長く、家族同然の扱いをおこなっており、食用にはしてこなかった。近年はアジア圏でも、生活習慣の変化に伴い、愛犬家や若者を中心に犬食を忌む傾向も生じている。 社会心理学的な解釈 [編集] 犬食文化が忌避される理由は、多分に文化的な要因に負うところが大きいが、一般的には人間と心情レベルでコミュニケーションを取れる動物をある時点を以て食用と見なすことに対する心理的な違和感から来るものであり、犬をペットと見なす文化圏においてこの感情は強い。しかし、食糧事情が切迫している状況においてこれを食すことに対しては人食に対する嫌悪と異なり、一般に倫理的な批判が向けられることはない[1]。 犬食の習慣が一時的に衰退し、再び盛んになる背景として、犬食文化に対する忌避が外圧によってもたらされ、為政者がその主張を国民に押し付けてくることに対する反発が上げられる。犬食文化への批判者(主に西欧)による主張が、自分達の文化の優位性にもとづき、本来相対的に理解するべき他国の食文化を野蛮なもの、倫理的に劣ったものとして批判する似非普遍主義的なエスニック・セントリズム(自文化中心主義)から派生していることに、犬食の習慣を批判されている国や地域の人々が気が付くようになったということである。 そして当該国の為政者が、例えばオリンピック招致のような政治的な思惑から、外圧を無批判に受け入れ、その主張に追随することに対する心理的な反発からブームが再燃していると考えられる[2]。 中国 [編集] 食用犬とされたチャウチャウ 中国の新石器時代の遺跡からは、犬の骨が大量に出土している。これは犬を食用として大量に飼育していた為である。黄河流域にも長江流域にも犬食文化は存在した。古代中国で犬肉を食べていた事実は、「羊頭狗肉」「狡兎死して走狗烹らる」などの諺、前漢の高祖に仕えた武将樊?がかつて犬の屠殺を業としていたことからも窺える。 しかし、狩猟や遊牧を主たる生業とする北方民族は、犬を狩猟犬として、或いは家族や家畜群を外敵から守る番犬として飼っており、犬肉を食べない。こうした犬は生業や家族の安全に寄与する生活の仲間であり、家族同様だったからとする見方がある。農業生産性の低かったヨーロッパでは伝統的に牧畜が重要な生業であり、現在の西洋の犬食いに対する嫌悪感には、北方民族と同じ源があると見られる。 華北では、五胡十六国時代に鮮卑など北方遊牧民族の支配を受けた影響から、犬食に対する嫌悪感が広まった。北方民族が入らなかった南朝でも、5世紀頃から犬を愛玩用として飼う風習が広まり、特に上流階級はペルシャ犬を愛好した。この為、南朝でも犬食を卑しいとする考えが広まり、時代が進むに連れて犬食の風習は廃れていった。但し『本草綱目』にも犬の記載があり、全く廃れた訳ではなかった。現在でも、広東省、広西チワン族自治区、湖南省、雲南省、貴州省、江蘇省等では、広く犬食の風習が残っている。江蘇省沛県や貴州省関嶺県花江、吉林省延辺朝鮮族自治州は犬肉料理で有名な場所である。地名にも養殖場があった場所として、「狗場」等の名が使われている場所が多くある。広東省広州では「狗肉」(広東語カウヨッ)の隠語として「三六」(サムロッ)や「三六香肉」(サムロッヒョンヨッ)と呼ぶが、「3+6=9」で同音の「狗」を表した表現である。概ね、シチューに似た煮込み料理に加工して食べられる。調理済みのレトルトパックや、冷凍犬肉も流通している。 広西狗肉料理 古代よりの伝承では、黄(赤)、黒、花(斑模様)、白の順に美味いとされている。一般に、中国医学では、犬肉には身体を温める作用があると考えられているため、冬によく消費されるが、広西チワン族自治区玉林市では、夏至の頃に「狗肉茘枝節」と称して、犬料理とレイシを食べる行事が行われている。夏に犬肉を食べるとのぼせるが、身体を冷やすレイシと合わせて食べると問題ないとされる。


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